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林田力『東急コミュニティー解約記』(Replacement from Tokyu Community)はマンションの管理会社を変更し、管理委託費を大幅に削減した事例の記録である。東急コミュニティー管理では不動産を守れない実態が明らかにする。

加治将一『龍馬を守った新撰組 禁断の幕末維新史』(水王舎、2017年)は坂本龍馬と新撰組を中心に幕末の歴史を考察した書籍である。本書は長州藩をフグ帝国、薩摩藩をイモ帝国と書くような軽いノリで書かれている。真面目な歴史書を期待する向きは拒否感を持つかもしれないが、一会桑など歴史学の動向を押さえている。

幕末と言えば、日本が列強の植民地にされる危機的状況の中で多くの若者が国を守るために考えて行動した時代と肯定的に評価される傾向がある。政党名に「維新」が用いられるほど明治維新は人気がある。ところが、本書は、それ自体が列強の台本通りの出来事であったという。

薩摩や長州が善で幕府が悪という勝者の歴史観は見直しが進められている。NHK大河ドラマで会津藩を舞台にした『八重の桜』が放送される時代になった。大政奉還を進める龍馬と武力倒幕にこだわる薩長にズレがあったことも今では有名な話になっている。本書はさらに列強という要素を追加している。

本書は日本史上最大のヒーローと扱われがちな坂本龍馬も過大評価しない。バックの列強の看板があっての存在に過ぎないとする。しかも、商道徳の仁義を無視したために切り捨てられた。本書は龍馬の異端児ぶりを巧みに表現する。「オーケストラの奏者が、突如出現した態度のデカいラップスターをウザく思う気持ち」「お龍などというヤンキーみたいな、わきまえない女をどこでも連れ歩くのも鼻につく」(298頁)。言い得て妙である。

現実に龍馬のような存在がいたら、好きになるか嫌いになるかは立場や状況によって変わり得るだろう。異端児と言えば異端児であるが、ラップスターもヤンキーにしてもステレオタイプなカウンターカルチャーであり、本当の意味での革新ではない。想定内の異端児である。

もともと龍馬は司馬遼太郎など高度経済成長時代のスターであった。その後のポストモダンは絶対的権威を相対化させたが、カウンターカルチャーも相対化させた。カウンターカルチャーの中の欺瞞やダブルスタンダードを突く。白人至上主義を批判する黒人至上主義のダブルスタンダードを突くように。ポストモダンが当たり前となった現代に龍馬の過大評価への疑問が登場することは自然である。

最後に明治維新が薩長に都合よく進んだ要素として徳川家茂と孝明天皇の相次ぐ急死がある。幕府にとってあまりにタイミングの悪い急死である。暗殺説は色々なところに出回っている。本書は医師に一服盛られた可能性に言及する(257頁)。考えてみると医者は恐ろしいことができる立場にある。インフォームドコンセントやインフォームドチョイスの重要性を再認識した。
http://www.hayariki.net/young.html

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